人に教える立場に立つ人
人に何か物事を教えるってめちゃめちゃ大変だな〜って昨日身をもって体感しました。
前にも書いたことがあると思うんですけど、
僕最近中学生にバスケを教えているんです。ほんのちょっとなんですけど。
そこで、自分は簡単にできることでも、教わっている子たちはできなかったり。
当たり前って言ったら当たり前かもしれないんですけど。
で、ここからが本題で、僕みたいに教えている時に「なんでできないんだ!」
って言っちゃう方。そしてあとで後悔している方。いるんじゃないですかね?
そんな方に、僕が思うことをお伝えできればなぁと思っております。
まだまだ未熟
どれだけベテランでも、どれだけ自分が教えている物事が得意でも、
教える立場の人は、教わっている人たちができるようにならなかったらいる意味がないわけです。それでお金をもらっているので。
なので、自分の言っていることが伝わらず、
教わっている方がうまく実践できたいないのであれば、
それは教えている側の責任ということです。
まだまだ教える力が足りていないということですね。
ここで「そんなことはない!俺は〜年やってきたんだ!」とかって思った方は、
まあそのままの指導法でどうぞ。
成長するための一歩はなんでもそうですが、「自分がまだ未熟である」と自覚することだと思います。自信をなくすというわけでわありません。
「このくらいはできているけど、ここができていないな」という感じだと思います。
子ども達から教わっている
自分の指示が伝わらない、未熟であるということがなぜわかるのか。
子ども達のおかげです。教える側は、一見教えているように見えて、教わっているんです。「ここの教え方がわからないな」とか、「どうしたら伝わるんだろう」とか
そう思えるのは、教わってくれている子ども達がいるからですよね?
それがあるから改善し、教える側として成長できるのだと思います。
なので、余計、怒ってしまうのは違うのではないかな?と思います。
どちらかというと、声には出さずとも、「感謝」しないといけないと思います。
教わる側の出来栄えは教え方のフィードバック
もちろん能力がある人ない人によって出来栄えは違ってくるとは思いますが、
出来栄えを見て、「ここの部分ができたいないな」というのと同時に、「ここの部分がうまく伝えられていなかったのかな?」というフィードバックにもなると思います。
逆に良い出来栄えなのであれば、自分の教えが良かったと思いつつも、そこは成長のために「子ども達が頑張ったからできた」と思ってあげると、自分の気持ちとしても、教えることの成長のためにもとてもいいのではないでしょうか。
この記事を読んだ方にオススメ!
kakeru-hedgehogs-8.hatenadiary.jp