夢追い人-教育から幸福を生み出す-

不満だらけの現状に住み続ける方へ。現在の日本の教育に疑問を持ち、顧問と考えが合わないでやっていた部活動をやめ起業する高校生が発信。嫌な現状から勇気を持って飛び出すことを応援するブログ「自分の人生を決められるのは自分だけ。楽しい人生を自ら創りだそう!」

新たな試み

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おっす! かけるです!

 

先日ですね、アクティブラーニングを使って、中学一年生のバスケ部員と

①バスケの新ルール「0ステップ」を学ぶ

②エンドスローイン(フォーメーション)を作る

というのをやりました!

考えたのは俺のお父さんなんですけど、なかなか学校の勉強をしたりはしても、

スポーツに関して学んでみよう!ってのはないと思うので面白いなと思いながら

子どもの中のリーダーとして参加してきました!

その感想を書いていきやす。

0ステップ

0ステップについては皆さんは知らなくても大丈夫ですw

もし知りたかったらググってみてください。

ただ、新ルールで今の大人たちもなかなか頭が追いついていないようなものなんです。

それを子どもたちが個人個人調べてきて、話し合って、実践して。

という流れでやったんですね。

 

彼らは、動画を見たり、ググってみたりして各々がいろいろ調べてきたんですね。

そこに自分としてはこういったアレンジで使えるんじゃないか?とかも付け加え、

説明をしていました。

そもそも、これが素晴らしいと思います。

人に説明するってなかなか難しいじゃないですか。

それも調べてきた内容にプラスαで。

それを中学生1年生が、自分たちで調べてまとめ、話をする。

結構難しい内容なのにもかかわらず。意外とできるんですよね。やってみると。

それに、それだけでも自分の頭の中に残ります。

そしてこれは反則なのか?これはOKなのか?と話し合い。

実践してみて、試合中に使えそうな技を作ってみる。

新ルールになったばっかりなので

組み合わせ次第でいろんな新しい技になっちゃうんです。

プラス、それについてもお互いで話し合いをする。

そうやってやっていくうちに自然と体にも染み付く。

 

頭でも考え、体も動かす。両方に染み付いていく。

 

自分でやっていても、めっちゃいいなと思いましたね。

フォーメーション作り

これは結構苦戦してましたね。

無限にありすぎるっていうのと、ディフェンスを翻弄するのがフォーメーションといっ

てもいいぐらいですが、人不足でディフェンスになる人がいなかったというのもあって

試合中に使えそうなものになっていたのかどうか、正直わかりませんでした。

それともう一つ難しいのが、0から1を作るってことですね。

0ステップの場合は0ステップという土台である「1」がすでにあります。

なのでそこに付け加えていけばいいんですけど、

フォーメーションはスタートの形だけでも無限大その後の動きも無限大。

いろいろなことが考えられすぎて子どもたちがふざけ始めるというのが難点でした。

 

まとめ

アクティブラーニングというものを受けたことがある、知っているとは言っても

なかなか使いこなすのは難しいです。

でも、バスケにも、他のことにも使えそうだと感じたので

さらに新しい試みを増やしていきます!

 

 

これからもこんな活動をやっていきます!

もし自分の地域でやってほしい!というものがありましたらコメント下さい!

 

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あえて変えてみる

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おっす! かけるです!

 

学校でですね、政治経済の授業を受けているんですね。

その中で「これは自分たちの生活にも活かせるんじゃね?」

というものがあればこれからじゃんじゃん書いていきますね。

今回は行政のトップ、首相、大統領のお話。

任期

皆さんは首相や大統領だけでなく議員にも任期があるのはご存知ですよね?

 

最近中国の大統領さんは何か一生自分だけが大統領で居られるような法律を

作っちゃったとかって聞きましたけど。

 

まぁほとんどの国においては任期があります。

じゃあ、そもそもなぜ任期があるのでしょうか?

意外と盲点じゃないですか?

だって一人の人がものすごく良くてものすごい人気だったら

わざわざ無理やり辞めさせなくてもいいじゃないですか?

でも、任期を設けてわざわざ変える。なぜなのでしょうか?

あくまで推測ではありますが、

俺は最近よく書いていた「冒険」というのが関係していると考えます。

冒険

俺が書いている冒険というのは

あえていつも経験しているもの、安全だとわかっているもの

ではないものに手を出してみる。

例えば外国人と話すとか、一人旅に行くとか。

美味しくなさそうに見えるものを食べてみるとか。

そうするといつも見えていないものが見えて

「いつものよりもこっちの方がいい!」とか「いつもはすごいよかったんだな」という

気づきを得ることができるのですごくいい!

というのが俺の最近書いている冒険というものです。

 

任期があるというのもこれと一緒だなと思ったわけです。

一人めちゃくちゃいい大統領がいたとします。

でも、任期があると変わらざるをえません。

仕方なく変わってみるとその次の大統領はさらによかった!

ということがあり得るわけです。

それは任期がなかったら最初のとてもいい大統領が人気のため、ずっと変わらず、

さらにいい大統領が発見されずにずっと続いてしまうということが起こりえた

ということです。

しかし逆の可能性もあります。それは、あの国の T大統領 ですかね?w

正直マスコミによって情報が変わっている可能性もありますが、

あまりいい噂を聞きません。

前任の O大統領はよかったってイメージなんです。

まあ、こういったこともあります。

なので絶対良くなるとも、悪くなるとも言えません。それこそが冒険ですから。

ここから言えること

一番言いたいのはここからです。

国という大きな共同体をまとめる大統領を選ぶことですらも冒険をしている。

下手したら国が危うくなる可能性もあるのに。

 

それに比べて俺たちはどうでしょうか?

冒険してみたとしても、死んだりはしないでしょうし

もし辛くても自分だけ。逆にめっちゃいいことも起こるかもしれない。

でもそれすらもまず冒険してみないとわからない。

なんか生活がマンネリ化しているそこのあなた!

もっと冒険して、

良さそうなことを見つけてみませんか?

 

 

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期待と信頼

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おっす! かけるです!

 

教育者の皆さん。皆さんは

子どもたちに対して「期待」していますか?それとも「信頼」していますか?

会社で誰かの上司になっている方も同じです。

部下に「期待」しているのか、「信頼」しているのか。

これが実はものすごい差になってきちゃうんですね〜。

期待と信頼

期待というと、どういったことを思い浮かべますか?

俺は、正直「辛いな〜」って思うんです。

なんでかっていうと、中学生の頃バスケをやっている時に、

多少期待されていたので、「点を取りに行け」と言われるわけです。

俺はそこまで行きたくはないんですけど。

その感情が最初に出てきますね。

今の学校生活においても、多少勉強ができてしまうので(嫌味じゃないんですが…)

成績が下がると「勉強やった方がいいよ」って

大人の人たちにも言われたりするんです。

そんな変な期待をされるなら、勉強できない方が良かったなって思う時があります。

とこんな例が「期待」です。

あえて悪く言うと「周りから見たとてもいい、なってほしいモデルを押し付ける」って

感じです。

 

逆に信頼は、いつもの俺の親ですね。

基本的に勉強していなかろうが、ゲームしてようが基本的に何も言わない。

たま〜にありますけどね。言ってくることが。でも、本当に言われないです。

信頼は、書いて字のごとく「信じて頼る」ということです。

期待or信頼する側の具体的な心情とされる側の感じ方

期待または信頼する側の具体的な心情とされる側感じ方について書きます。

期待

期待は「こうなってほしい」という期待する側の勝手な心情です。

される側は自分ではないのに、それに対してどうにか変えようとする気持ち。

だから、うまく変わってくれない、思い通りにいかないと怒ります。

「なんでこうじゃないんだ!」とか「なんでこうしてくれないんだ!」

というようなことを言います。

 

される側としては多少であればいいのですが、過度な期待を受けると

「辛いな」とか「ほっといてほしいな」となります。

自分は自分なのに他人から別の自分を押し付けられるってことですね。

そして思春期だと特に、期待されている自分とアイデンティティが格闘します。

自分はこうしたい。でもあの人はこう言う。…どうしよう?!という感じです。

本当に辛いですね。これが思春期に反抗期が起きる一つの原因でもあります。

信頼

信頼は「こいつなら大丈夫だな」と信じて任せることです。

「信じて任せたらうまくいかないのでは?」と思う方がいるのではないでしょうか?

それがそもそも信頼できてないってことなんです。

多分ほとんどの人が同じ理由で任せることができていないんです。

 

でも子どもと接して任せてみると自分たちで考えて動くし、

わからなかったら聞きにきます。

その時はヒントを与えてあげることが必要ですが、全て教える必要はありません。

教える側のはずの僕達よりも柔らかい脳の持ち主である子どもたちが

自分たちで大人が思いつきもしないようなことを思いついて

逆に教える側が教えられるということすらあります。

それが起こるのも信頼しているからこそなんです。

 

でもやっぱり相手が子どもだったりするとよくないことも起こります。

でも、そんな時、信頼していると「何してんだ!」じゃなく

「できると信じてるのに、なんでこうなっちゃったんだろう?」

って疑問を抱くんです。

怒りというよりも単純な疑問。

そして相手のことを思って注意、叱るということができるんです。

ここが期待と信頼の大きな違いの一つですね。

 

 

される側の心境としては本当になんでもできるので超自由です。

それに信頼されていると、何か裏切れない気持ちになるんですよね。

本当になんでも受け止めてくれるので。

 

結論

このように考えると本気で子どものことを思っているならどちらを選ぶべきか。

簡単にわかりますよね?

是非その方を実際に試してみてください。

 

 

 

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なぜそれをやるのか

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おっす! かけるです!

 

俺が起業の勉強をしていたり、バスケを教えたりする中でもめちゃめちゃ重要だな。

と思ったのが、この「なぜするのか」要するに「Why?」です。

そこについて今回は書いていきます。

バスケの練習にて

バスケを教えているのは今まで俺が卒業した中学校の子だけだったんです。

でも、最近別の地域からも教わりに来て下さる人がいるんです!

そんな人たちは、全く別の環境で練習していると同じバスケの練習でも

なかなかできないことがあったりするんです。

でも、一人一人に俺が教えていると他の人に目が行かなくなっちゃう。

なので、いつも来ていて練習を理解しているかな?って子たちに

教えさせることにしたんです。

教えるっていうのは自分が理解してないとできないので自分の頭の中の整理にもなるし

「あ、そういえばこの練習ってこれを意識するんだよな」というように

気づくきっかけにもなるんです。

そこでとても重要になってくるのがこの「なぜやるか」ということです。

いまいちピンとこないかもしれませんので少し掘り下げて説明します。

 

例えばシュートの練習をするとします。

シュートを打つ。ひたすらに。とにかくうつ。何も考えずに。

一見良さそうに見えますが実はbadです。

とにかくうってはいますが、

何も考えていないということは結局ただうっているだけなんです。

ここで出てくるのが、「なぜうっているのか。」ということ。

シュートが入るようになるためにうっている。ということなのであれば

入らない理由を考えながら打たなければなりませんし、

パスをもらってすぐにうって決めたい!というのであれば

パスを出す人を一人お願いしてパスをもらいながら、素早く、入るように

練習しなければなりません。

 

「なぜやるのか」が重要な理由。それは例からもわかるように

「どうやってやるか」ということがしっかりと決まるからなんです。

そうすればそれはただやっているよりも、明らかにいい練習になります。

サイモンシネック

実はこの考え方は「サイモンシネック」というものなんです。

俺も少し簡単に書きますが、もし詳しく知りたい方はこちらをご覧ください。

www.youtube.com

 

普通の人は「何をするのか」から考えます。

でも、それは間違っています。

間違っているというか、よくないという方が正しいかもしれません。

だって「何をするのか」は結局「なぜやるのか」という

理由、原因から来ているはずだからです。

何かをやろうとしている時、

まず、なぜするのかを考える。次にどのようにやるのかを考える。

そうすれば、ただやるよりも効果は上がるんです。

なぜなら、簡単に言えば、意識が明らかに違うから。

なかなかこのことを考えることができる人はいません。

だからこそ、それがわかって、実践できれば他との差を広げることができます。

 

「What-何を-」から考えるのではなく、

「Why-なぜ-」から考え行動してみてください。

 

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「間違えをさらすために黒板がある」

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おっす! かけるです!

 

この言葉は、俺の英語の授業を担当している先生が言ってた言葉なんですね。

これ、結構面白いなって思ったんで書かせていただきやす!

自分の考えを出す

学校だと先生に指されて答えを言ったり、スポーツだとプレイをしたり、

人の前で自分の考えていることを出すことってちょくちょくあると思うんです。

学校だけでなく、社会に出てからも意見を言ったり。

そういう時に、必ずあっていることを言わなくちゃいけないっていう気がしませんか?

俺も現役の高校生としてやっていてやっぱりあるんですよね。

なんか間違っていると恥ずかしい。みたいな。

 

他の人でもやっぱりそういう人がいて、

英語の時間に先生に「黒板に書いて」って指名された人がいたんですけど

「わかんない」って言って書こうとしない人がいたんですね。

その時に言ったのが、

「間違えをさらすために黒板があるんだから、とりあえず書いてみなよ」

間違えをさらすため

なるほどなーって思いましたね。

自分がここが間違っているっていうのをちゃんとわかるため。

ていう意味で言っていたんで、すごく腹落ちしましたね。

学校で言ったらテスト、スポーツで言ったら試合。その時に間違わないように

練習、授業の時に間違えを自分の中からさらけ出すってことですね。

間違えを知る

結局、間違っているところを修正するのにも

まずは間違っていることがわかんないといけないんです。

間違えを自分の中からさらけ出すことによって、間違えを知る。

それが間違えを直す第一歩ってことです。

全てあっている必要はない

前にも書きましたが、人前で考えを発表する時とかってあってなくちゃいけない

みたいな感じありますけど、決してそんなことないです。

だって人はみんな完璧じゃないし、完璧じゃないなりにより良くなろうとして

学びに出かけているんで、逆に間違えないなら、学校とか行く必要ないですよ。

だから、どんどん間違って、どんどん教わった方がより良くなります!

 

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アニメ、漫画、ゲームからも「学ぶ」

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おっす! かけるです!

 

今回の記事の他タイトルを見て「何を言っているんだこいつは」と思う方がほとんどでしょう。

それもそのはずです。もともとアニメ、漫画、ゲームというのは娯楽であり、

架空世界のものなのですから。

そんな所から学びを得るだなんて、ありえない。と思いますよね?

実は、そんなこともないんですね。

今回はその例達と共に、どうやったら本来娯楽のものから学びを得ることができるのかについて書いていきたいと思います。

俺の書いている記事

俺の書いている記事にも、漫画からの引用があります。

憧れたらもう越えられない。(By 黄瀬) - 夢追い人-教育から幸福を生み出す-

(相手から)どう思われるかじゃない、どう相手を思うかだ!(By 七つの大罪 メリオダス) - 夢追い人-教育から幸福を生み出す-

漫画「DAYS」 - 夢追い人-教育から幸福を生み出す-

これら全部が漫画の中から学びを得て書いたものです。

アニメやゲーム

アニメやゲームにおいては、歴史のことが多いですね。

アニメでは、ドラえもんで「モーセステッキ」というのがあるのをご存知でしょうか?

先史の時代、ヘブライ人(今のユダヤ人)が海を渡る時、神にお願いをして

モーセが海を割ってくれたというお話。

(詳しく知りたい方は「出エジプト」で調べてみてください)

この海を割る力がドラえもんでは水を割る力となって登場します。

 

また、ゲームでいうと、ドラゴンクエスト。俺はやったことないんですけど、

初期の武器を強化していくと

ヒノキ→こんぼう→青銅→鉄→鋼→…となっているらしいんですね。

これは昔の人の道具の進化を表しているもので、最初に金属器を使い始めた部族は

青銅器を使っており、その後ヒッタイトという部族が鉄を世界で初めて使い…

っていう感じになっているんです。

 

こんな感じで、他にも三国志をモチーフとしたゲームがあったり、

大人気漫画の「ワンピース」も歴史からモデルとした人々がいるわけです。

なぜこんなにも繋がりが見つかるのか。

まずはじめに、これらを作っている人は架空の世界を作り出すとは言っても、

0から作り出すよりももともとある話や人をモデルとして書いた方が楽だとか、

考えやすいということがあります。

本当にいろんなところに歴史上の人物がモデルとして使われています。

 

そしてもう一つがアンテナを立てておくことです。

俺の場合、教育関係のことで使えそうな話があれば、ブログに書きたい!

と思っているので、いつも「この話はこういった考えで使えそうかな?」とかを

漫画を読みながら考えているんです。

こういうことがめちゃめちゃ重要です。

もし、漫画の中にヒントが転がっていたとしてもただ楽しんで読んでいるだけだと

学べるものも学べないんです。

また、歴史上の人物とかがモデルに使われていることが多いとわかれば、

いつも「この人のモデルは誰なんだろう?」と考えられるようにしておくのも

アンテナを立てておくということです。

こうすることによって一見ただの娯楽のように感じることからも

学びを得ることができるということです。

 

それに、漫画は面白くするのには、名言っぽいこととかもちょくちょく入れないと

ダメなんで、出てくるんですよね。学びを得られる言葉が。

しかも楽しく読める。種類も豊富。

これ以上に人生にいい教科書はないなと思いますね。

なので、何か人生の学びとか、得たい時にはただ活字の本を読むだけではなく、

アンテナを立てて漫画を読むというのもとてもいいと思います。

 

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今も昔も変わらない「無常」

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おっす! かけるです!

 

 

今回はですね、国語の古典の授業からです。

昔の詩というのは、無常感を表したものが多かったんですね。

無常というのは「常では無い」と書きます。

これは、世の中で変化しないもの、「常に同じもの」が「無い」と言う意味です。

桜の画像を使ったのは、花が咲き、青葉を付け、葉を落とし、枯れていくという

「無常感」をとてもよく表しているものだと思ったからです。

 

では、なぜそんな無常感が昔は多かったかというと、

生まれてきた子どもがすぐに死んでしまったり、

いつ戦争が始まってしまうかわからなかったりと、

激動の時代だったからなんです。

しかし、今現在はどうでしょうか。

特に俺たちが住んでいる日本は医療も進み、

戦争もないとても平和な国になっています。

そうなると、「無常感」というものが人々の中から薄れていっているんです。

なので、最近は無常感という言葉もそれを強調するような歌、話もあまり聞きません。

俺はそのような考えが浮かんだときに「それっておかしくね?」って思ったんです。

今も世界は常に変わり続けている

日本においては季節もいつも変わるし、

人だって成長し続けるか、もしくは衰えていきます。

それに小学校から中学校、高校、大学、そして社会と環境も変わります。

 

世界って生きていて、いつでも変わり続けています。

てことは、今も昔も、世界って「無常」なんじゃね?と思ったわけです。

この世界は「無常だ」とは言っても「無常であること」は今も昔も変わらないんですw

安定の今を生きていることによる安定志向

でも、なんか安定しちゃっている環境にいると、そのことを忘れてしまう。

そうすると、自分の生活とかにも安定を求めてしまう。

この世界において、そんなものはあるはずもないのに。

もっと自分にさらなる可能性があるはずなのに。

安定の世界にいること

正直、安定して「常」でいることってめちゃめちゃ簡単なんですね。

だって自分が「嫌だな」とか「怖いな」ってことをしなくて済むから。

今のままずっと生きていて本当に幸せなのであればそれでもいいんです。

でも、逆に安定を目指し過ごしている人の豊かな生活は埋まってるんです。

だって、挑戦したことないでしょ?冒険したことないでしょ?

危険を犯したことないでしょ? 

今、言ったような「挑戦」「冒険」「危険」というのは

普通ではあり得ない「無常」の所。

そんな所にこそさらなる豊かな生活は広がっているんです。

なぜか

例えば、全く見たこともない食べ物を食べるとします。

見た目は最悪。食べたくもない。でも一口食べてみたら今まで食べた中で、

一番美味しかった!

 

それと同じ感じです。

安定志向の人からすると「無常の世界」は未知。

でも、そういった所にしかさらに良いものはありません。

 

安定でいてもいいと思いますが、

せっかく「無常」に新たな自分、新たな世界が広がっているのに、

もったいないなぁ。と思います。

 

 

いつも「無常」でいられる人こそが真の幸せを掴むことでしょう。

 

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