目的=手段にならないこと
授業中、たまに先生が
「この問題について板書して説明してください」
みたいな時ってあるじゃないですか。
それが、まさに今日、数学の時間にあったんです。
先生から指名された数名が、板書して、説明をするというものでした。
その時に気付いたことが、起業で勉強したこととも繋がっているし、
ぜひ共有したいなとも思ったので書かせていただきたいと思います。
数学の授業で説明した時
僕は最近起業の勉強をしてて、
ということについてよく聞くので
「それを用いて今日説明しよう!」
と思っていました。
特に何もなく普通に説明を終え、自分的にはサイモンシネックもできたからいいかな
なんて考えていながら他の人の話を聞いていました。
人の話を聞いていてちょっと気付いたんです。
「あれ、ずっと黒板向いて喋ってんなぁ」
ということに。
そこで思い出したんです。タイトルにもある
「目的=手段になってはいけない」ということを
「目的=手段になる」とは
僕が説明した時でいうと「サイモンシネックを使って説明をする」
他の人の場合だと、「とりあえず説明をする」ということ。
これってあくまで手段ですよね?
もともと説明する目的っていうのがなんなのかをみんな忘れているんだと思いました。
僕は「人にわかってもらうための手段としての説明」だと思うんです。
でも、今日の僕たちの場合だと、
手段であるはずの「説明をする」ことが目的になっていてしまったんです。
すると、本来の目的であるはずの
「人にわかってもらうこと」
があまり達成されないんです。
実際に僕の友達で、説明を聞いていたけど、あまり理解できていない人もいました。
目的が達成されないわけ
「とりあえず説明をする」というのは
「やらなくちゃいけないから、しょうがなく説明している」ということだと思います。
多分、本気でわかってもらおうと思って説明していた人は、
あの場には僕も含め一人もいなかったと思います。
先生に指名されたからやっている。ということでやっていたのでしょう。
そのような意識では、
雑に説明しても、とりあえず説明するという目的は達成されるため、
聞いている人の中には、理解できない人がいても特に関係ない
というようになってしまうと思います。
別に説明していた人が悪いとは思いません。ほぼやらされですから(笑)
ただ、本来の目的が達成されなくなるだけです。
実際は…
実際難しいところなんですよねー。
説明したくなくても、指名されたらやらなくちゃいけない。
でも、人に教えたほうが定着はしやすい。
ただ、本気で教えよう!説明しよう!と思っていないと、
聞いている人からするとわかりにくい。
解決策としては
「説明する人が本気で周りの人のために説明することで自分の向上につながる!」
と思うことですかね。
様々な場面でこのようなことがある
目的=手段になってしまうことは今回のような場合だけではありません。
例えば、勉強だと、しっかり覚えることが目的なのに、
3時間勉強することが目的になってたり。
それって、覚えられるなら、極端な話、1分だっていいわけじゃないですか(笑)
どのくらいの時間やる、とか、どうゆう風にやるとかは手段なので、
もちろん手段も大事ですけど、一番大事なのはこの場合でいうと、
「しっかり覚える!」
という目的であるということです。
こんな感じで「目的=手段にならない」ように生活してみると、
効率的に結果が出せるかも?