夢追い人-教育から幸福を生み出す-

不満だらけの現状に住み続ける方へ。現在の日本の教育に疑問を持ち、顧問と考えが合わないでやっていた部活動をやめ起業する高校生が発信。嫌な現状から勇気を持って飛び出すことを応援するブログ「自分の人生を決められるのは自分だけ。楽しい人生を自ら創りだそう!」

年齢がどうのこうの。意味ある?

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おっす! かけるです!

 

皆さんはきっと会社で働いていたり、学校に通っていたり、

少なくとも

「年齢によって上下関係が出来上がるコミュニティ」にいるのではないでしょうか?

俺は、世界史の勉強をしている中で、

「そんなの意味ないんじゃね?」って思いましたね。

年齢とは?

前回の記事

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こちらですね。こちらに引き続き、先史の話です。

 

昔、一番最初にできた暦。それは太陰暦というものでした(確か)

太陰暦は月の満ち欠けによって日付を示すというもので、

実際、今の暦とはちょっとずれているんですけど、

まぁ、そういったものが始まったことがあったと。

でも、逆に言うと、人が勝手に作っただけであって、

その太陰暦ができる前というのは、早く生まれたとかはあっても、

年齢という概念はなかったんじゃないかと(推測ですが)

年下からも学び、誰もがリーダーになれる。

もちろん、長い間生きていた人の方が知識量はあるかもしれません。

でも、若い人のセミナーなどが50代などに売れるのはなぜでしょうか?

実際、もし自分より短く生きていようとも

たくさんの経験をしてより深い学びを得ている人がいるのであれば、

その人から学ぶことがあってもいいということです。

そして、ただ年齢が高いからリーダーシップがあるというわけでもありません。

若くから起業をしている人だって現在は増えていますし、

もし、今人の下についている人の中にもリーダーとしての素質を持った人がいても

おかしくありません。

もし、本気で自分を会社をより高いレベルに引き上げたいなら、

年齢など関係なく、学べることは学び、頼れるところは頼る。

そんなことが必要なのではないでしょうか。

 

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獲得経済だったからこその感謝

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おっす! かけるです!

 

今回は世界史の先史(文字で残っていない時代)の頃のお話を入れて書いていきます!

生産経済と獲得経済

みなさん、今って何経済だか、ご存知ですか?

という質問がざっくりすぎてよくわからないと思いますが、

獲得経済と、生産経済という枠組みでいうと、生産経済です。

自分たちで植物、動物も育ててそれを食べたり、売ったりして生活します。

自分たちで食料を「生産」するから生産経済というわけです。

でも、紀元前何万年の頃は当たり前ですがそんなことはありませんでした。

自分たちで狩りに出かけて、獲物を見つけ、石を加工した武器を使って仕留める。

これが何万年も前の自分たちで食料を「獲得」する獲得経済です。

 

今の生産経済って育て方を間違えることがなければ、

食料が無くなってしまう

ということはなかなか起こりえませんよね?

しかし、獲得経済というのは

獲物をまず見つけなければならない。

そしてその獲物をちゃんと仕留めなければならない。

それができなければ

自分たちの食べ物を得ることができなかった。

なかなか大変ですよね?

 

さらに、今は俺たちが食べる時、肉としてしか見ていないものを

昔の人々は動物が息をひきとる所も、動物の内臓などもすべて見た上で

食料としていただいていたわけです。

 

前に漫画でちょうどそうやって自分の力で獲物を捕まえてさばいて食べるというものが

ありました。

鹿を狙って、矢を放ち、命中したら血を流して弱るのを待ち、

倒れた鹿を捕まえて、血抜きをして捌く。

辛そうな鹿がかわいそうにも思えますが、

この世は弱肉強食の世界で、人は食べないと生きていけない。

それを読んでいて、

「このような体験をしたら、食べ物に感謝せざるを得ないな」と思ったんです。

「いただきます」

今の人々はどうでしょうか?

平気で出された食べ物を残したりしているのではないでしょうか?

「いただきます」という風に食べる前にしっかりいうことができているのでしょうか?

それがただ口だけになってはいないでしょうか?

 

今の世の中では、そういった「食べ物への感謝」がとても薄れているような気がします。

「だからなんだよ」と思う方がいると思いますが、

昔の人からすると、毎日美味しいご飯をお腹いっぱい食べることができている。

それだけで今の人は幸せなんです。

でも、今の欲深い人間は、

「これはまずい。食べたくない」「見た目が美味しくなさそう。」

という理由で食べなかったりということが当たり前にあります。

さらに「もっと豪華な暮らしをしたい」「もっと美味しいものを食べたい」

そんなことを考えていませんか?

 

この満ち足りてしまっている日本では

そのようなことが当たり前のように起きています。

本当は今、この時間を生きていることが幸せなはずなのに。

今、お腹いっぱいご飯を食べられているだけで幸せなはずなのに。

こう言ってはいても俺も欲深くなることはあります。

ただ、少なくともご飯の前に様々な命に感謝を示し、

「いただきます」

と言えるだけでも、人の人生は豊かになるのではないかと考えます。

 

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自分が苦しんだことが誰かの役にたつ

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おっす! かけるです!

 

「夢が現実に変わる言葉シリーズ第20回」

 

今回でこのシリーズをラストにしようと思います!

理由は、この本もとても素晴らしい本である。というのはすごくわかるのですが、

他にも、様々な教育、人生のためになる名言がたくさんあるので

そちらも取り上げていきたいと思いました!

なので、次から

「教育、人生のためになる名言シリーズ」

でいきたいと思います。宜しくお願いします!

 

では、最後はこちら

 

「自分が苦しんだことが

 誰かの役にたつ」

 

 です!

内容

社会人になったとき

私には夢がなかった

 

何がしたいのかわからない

何ができるのかわからない

ここにいる理由がわからない

生まれてきた意味がわからない

自分の居場所がないような気がした

 

そんな私は

「人の夢を応援すること」を自分の夢にした

 

それは自分が一番、悩んできたことだから

同じようなことで悩んでいる人がいるとすれば

少しでも役にたつことができると思ったから

 

素晴らしい筆者の体験談

もう、一度読んだことがあるはずなのに、めちゃめちゃジーンときましたね。

自分が悩んだことと同じ悩みの人の役に立ちたい。

他にもこのような考えで仕事をしているたくさんの人がいますよね。

本当に素晴らしいと思います。

そしてジーンときたのにはもう一つの理由がありまして、

俺自身の考えと、ものすごく重なるんです。

教育に苦しめられた俺

中学校に入って、今までに出会ったことのないような先生に出会いました。

その先生は生徒に向かって舌打ちをしていました。

そのとき「先生ってこんな感じでいいんだろうか?」と思いました。

ただ、そのときは別にそこまで苦しんだわけではありませんでした。

 

高校に入り、バスケ部に入りました。

高校のバスケ部の先生は大体のところが怒鳴っているばかり。

そのなかに俺もいました。実際にされている側からしても、

子どもに対して愛情を持って接しているようには全くもって見えませんでした。

 

教師が、生徒に向かってそういったことをしている。

 

「教師が子どもを苦しめているのではないか?

 教師によって人生が辛くなってしまう子どもがいるのではないか?」

 

そう思ったときに

「教育に関する、学校教育以外のところで子どもたちの

 幸せな人生のサポートができるような仕事がしたい!」

という考えが浮かびました。

それが今につながっています。

自分が苦しんで終わりではもったいない

自分がとても苦しい思いをした。

それだけで終わってしまってはただ辛い思いをしただけ、そんなの嫌じゃないですか?

「嫌だった」という経験があれば、

他の人がそのようにならないように考えることができ、他の人の役に立ちます。

自分が苦しい思いをしたことにより、自分と、たくさんの人が幸せになれたら、

もしかしたら苦しい思いをしたことは素晴らしい思い出になるかもしれません。

俺はある意味あの経験をして良かったと思います。

こうなれたら、ただ苦しんだだけよりも幸せでしょう。

 

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「夢が現実に変わる言葉シリーズ」過去のものはこちら!

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「教育者から全てを教わる時代は終わった」

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おっす! かけるです!

 

俺の高校では、高二から文系と理系に分かれるんです。

で、俺は昔は理系が得意なはずだったんですけど、

最近、文系科目にはまって文系のクラスに入っています。

文系クラスの人が受ける授業が、「政治経済」なんです。

理系が得意だった頃の俺からすると、「え、絶対つまんないじゃん」と思ってました。

でも、今は先生が面白くて、起業を考える上でそういったのも必要かな?

というのもあり、結構楽しく授業を受けています。

 

普通に授業を受けていたある日、先生が言った言葉。それがタイトルの

「教育者から全て教わる時代は終わった」だったんです。

正直これを聞いたときに「今、こんなことを言える先生がいたんだな。」と

感激しました。それも結構若めの先生が言ってたんです。

そして俺もその通りだと思っているので今回はそれを記事にしていきたいと思います。

全てを教えないということ

教育者からすると、

逆に全てを教えないことっていうのはなかなか難しいと思うんです。

なぜかというと当たり前ですが、教育者のほうが知識量が多いです。

それに子どもたちに聞きながらやっていると時間がかかり効率的にも良くありません。

俺もバスケを教える側も経験していると、やっぱり自分の話が多くなってしまいます。

ただ、そうすると子どもたちは

自分で考えようとか調べようという意欲がなくなります。

加えて、ただ話を聞いているだけというものほどつまらないものはありません。

特に勉強のようにやりたくもないものは。

そうすると、最近のうちのクラスがそうなのですが、

全部教えようとして先生がただ話をしているだけの授業というのは

多くの人が寝ています。

逆に先生がガンガン質問してくる授業は「つまらないから寝よう」と思うどころか、

自分が指されたときに答えられないといけないので、どうにか起きようとします。

それは部活、スポーツだとしても同じです。

ずっと話だとつまんなくなってそっぽを向いたりとか、きっとあります。

でも、自分たちに質問が飛んできて話さなくちゃいけない

状況になれば、頭を働かせ、なんとか答えようとします。

それが考える頭の発達にもなり、

自分で考えて出した答えがあっていればより覚えているし、

間違っていても正解が叩き込まれます。

それの方がただ話を聞いているだけよりも自分の頭の中に入ってきます。

その状況を作ることができるのは教育者しかいないんです。

それにもし、今できないと思っている人がいるなら、こう言いたい。

「今できている人がいるのだから、

 あなたもできる!言い訳をするな!」

 

子ども達を思ったらどちらがいいか。考えてみてください。

 

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「機械力」を身につけさせられる

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おっす! かけるです!

 

この記事は、前回の記事の続きというか、付け足しです!

もしよかったら先に前回の記事↓

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を先に読んでください!

現在の学校の数学

現在の数学の授業はですね、公式を覚えて、問題を解くというもの。

俺は最近特にそこに違和感を覚えるんです。

そもそもなぜ最初に、すぐに公式を教えてしまうのか。と。

公式がない状態で一度考えてみる。どういった手段を使うと解けるのか。

それでもともと教えるはず以外の答えが出てきた方がいいんです。

それは要するに新たな手段の発見。企画の力に繋がるんですから。

そういった力が社会においても役立ってくると考えます。

でも、今の数学教育『集中力はいらない』という森博嗣さんの本に

書いてあった言葉を使わせていただき言い換えてみると、

これはヒトの「機械力」を高めるものです。

「機械力」

機械力と言われてもピンとこないかもしれませんが、

要するにインプットしたものを使う力ってことです。

機械はヒトによってインプットされたプログラムを徹底的に狂いなくこなします。

こう言われると、なんとなく俺の言いたい意味がわかりませんか?

そう。数学は、インプットされた公式を使って問題を間違わないで解く。

もう、まるっきり同じじゃないですか。

だから、日本の数学はヒトの「機械力」を高める力なんです。

ヒトVS機械

じゃあ、機械力を高め、機械に勝負を挑んで仕事を勝ち取ってみよう!

結果は見えてますよね。田善機械のほうが上です。

明らかに機械のほうが精度が高いんです。

インプットさえ間違わなければ、故障していなければ、絶対に間違えないですから。

でも、人間の場合めちゃめちゃ調子が良くても、

テストでそう簡単に満点なんて取れないんです。

そんなことは言われなくてもわかっていますよね?

じゃあ、なぜわざわざ「機械力」を高める必要があるのか。

そもそも機械力を高める必要なんてないんです。

ただし、「だから数学を勉強する意味がない!」というわけではありません。

海外の数学

あくまでどっかでなんか聞いたことあるなぁ…。くらいの感じですが、

確かアメリカの数学とかって公式で答えを導くんじゃなくて、

答えがあって、それになる式を考える。みたいな感じなんです。

 

例えば、

 

「『◯➕◯=3』これになる式を考えなさい」

 

みたいな。

 

俺は断然こっちのほうがいいと思います。

だって答えが無限にあるじゃないですか。

社会でも、答えなんて無限にある。とも言えるし、答えなんてないとも言えます。

それをそのまま表したのこそこのような問題形式です。

 

さて、皆さんはどちらのほうが役立つと思いますか?

 

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「方法もあっているか確認してください」

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おっす! かけるです!

 

タイトルだけだと、何を言っているのかさっぱりわかんないですよねw

数学の授業でのことなんですけど、それについて書いていきます。

手段と目的

俺は算数、数学というものは手段と目的のことについて学ぶものだと考えています。

実際、答えを導くという目的に向かって公式という手段を使います。

だからそのように考えていますが、日本の数学の教え方だと、

生き方には活かせないなって思います。

先日の授業にて

先日の授業でですね、普通に授業を受けていて、問題を解いて、答え合わせをして、

まぁ、本当に普通に過ごしていたわけなんです。

その答え合わせの時に出てきた言葉

「答えだけじゃなくて、やり方(途中式)もあっているか確認してください」

って言うんです。

昔の俺は「確かにそうだな」って思って見直ししたんですけど、

今の俺は、「あ、やばいな。この環境は。」って感じます。

目的と手段

効率を求める上で、数学の問題を解くのに公式を使うことは確かに有効です。

それは絶対に間違いありません。そのための公式ですから。

でも、最初から公式を教えてしまうことに何の意味があるのか。

 

目的と手段という視点で考えてみます。

例えば、社会に出てからマニュアルという手段があります。

そして、マニュアルを使って接客をします。

ただし、接客をする中に本当はお客様を最高に喜ばせるという本当の目的があります。

このような場合を今回のような数学の考え方を用いて考えてみましょう。

 

まずはマニュアルを頑張って覚える。

次に接客をしてみる。

そして接客の時にどこがマニュアルとそっていなかったかを考える。

もう一度接客をする。

相手は満足していなかった。でもマニュアル通りにできた!正解!

 

こうゆうことです。

これを植え付けているようなものです。

手段が目的化してしまっている。これは極めてまずいです。

今回の例で言うと、満足を得られなかった=一人のお客さんをなくす。

一人のお客さんをなくす=周りの人に悪い噂が広がる=多くのお客さんをなくす。

ということになります。

これは今回の例に限ったことではありません。

ただ、小さい頃からずっとこのような算数の勉強をさせられている日本人には

「手段を完璧にこなさなくてはいけない」という固定概念がこびりついています。

 

本当にそれでいいのでしょうか?

 

もしかしたらこのような教育が続けば、

頭がいい人こそ頭が固く、臨機応変に対応できないということになってしまうのでは…

ひょっとしたら、今の様々な業界でそのような傾向が見られているのでは…。

 

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「起業」「社長」のイメージ

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おっす! かけるです!

 

俺は、教育関係でなんか新しいことができないかな?とか思い、

起業の勉強をしているんです。

それで、学校の人にもそうゆう話をちょいちょいするんですけど、

その時の反応に木になるところがあったので、

そこについて軽く書いていきたいと思います。

あ、別に学校の人たちが悪いというわけではないので勘違いはしないでください。

「社長」に関してのイメージ

俺が学校で「起業をしようと思っているんだー。とかっていうと、ほとんどの人が

「雇って!」とか「めっちゃお金もらえるじゃん!」とか

お金の話ばっかりするんですね。

俺も正直起業の勉強してなかったらそうなっていたと思うんです。

でも、実際本当に凄い起業家の人はお金をもらうために社長をやっているわけではない

ということを伝えたいと思いました。

人々の課題を解決する。

会社を作るのはなんのためか。それは人々の課題を解決するためなんです。

実際、お金のためにやっている人の方が多いんですけど、

起業の本質をわかっている人は絶対に誰かの課題解決、ニーズのために起業します。

なぜ高校生の俺がこんなことを言えるのか。

そういった一流の起業家の人に起業に関して教わっているからです。

あの有名なユニクロの「柳井 正さん」も「経営者になるためのノート」で

同じように書いています。

そもそも仕事とは?

そもそも仕事っていうのは、誰かを助ける、誰かのために行動することなんです。

その対価としてお金をもらうことができる。

助けられた側がそれだけの価値を感じるからお金を払うんです。

でも、仕事というとほとんどの人がお金をもらうためだと思い込んでいる。

もちろん生活するためにもお金は最低限必要です。

でも、本質はお金ではありません。

どちらかというと、生活以外のお金は、仕事をより高いクオリティで提供するため、

会社を継続していくためのものなんです。

それでも余ってしまったら、私事に使う。というものです。

 

これから社会人になる人、まだ高校生の人、そして今、社会人の人にも、

そこは間違えないでほしいです。

だって、もし自分の贅沢のために仕事をやっている人がいたとして、

その人にお金をあげたいと思いますか?俺は思いません。

 

誰かのために頑張ったことで相手も喜び、自分も嬉しい。

それ以上に幸せなことがあるのでしょうか?

 

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