「目的」に対する「方法」
僕は、学校に行っていて特に数学で疑問に思うことがあります。それを話したいと思います。
公式を覚えるということ
数学では、公式について勉強するじゃないですか。それって、本当に意味があるのかな?って思うんです。そもそも、公式っていうのは、効率良くわかること、計算しにくいものを計算するためにあるものだと思うんです。あとはその方法でしか解けないものを解くため。
それを最初から先生が「こういう公式があります。覚えましょう。」ただそれだけ。
将来役に立ちますか?
日常的に使うものであればそれでもいいと思うんです。
じゃあ、二次方程式。日常で使いますかね?将来、社会人になった時に使うことがありますかね?
使うことがないのであれば、公式をただ教えるというのは、無駄であり、なおかつ生徒たちにとっては悪影響だと思います。
公式を最初から教えることがもたらす悪影響
それは自分で考える力が育たない
ということだと僕は思っています。将来使うかもわからない公式を勉強する。
それは大学受験のためにはいいのかもしれませんが、その後に役立ちますかね?
どっちかというと、大学受験にも、将来のためにもなる。それの方がいいのでは?
では、両方に役立つために何をすべきなのでしょうか?
自分たちで計算の方法を考える
これが一番いいと思います。ようするに、アクティブラーニングです。
本日アクティブラーニングについて勉強してきたことをまとめた記事はこちら
kakeru-hedgehogs-8.hatenadiary.jp
なぜいいかと思うかと言いますと、目的に対する方法が一つにならないため、一番最善の策を見つけようとする力が身につくのです。(もちろん、そう仕向ける教師の役割も重要ですが)
一つ、答えを見つけたとしても、まだ、もっと効率良く解ける方法があるのではないか。そう考えることができるようになれば、社会に出ても、あらゆる場面で目的に対しての最善の方法を見つけようとする、または見つけることができるのではないかと思います。
公式だけを学んでしまうと、自分で答えを見つけ出せないため、マニュアルがないと生きていけない人間になると思います。これは、柳井正さんの「一勝九敗」にもありました。
出かけている最中に急病にかかってしまった子どもを連れた親子がユニクロにやってきて「電話を貸してください」と言ったそうです。でも、その定員は、マニュアルに「電話を貸してはいけない」と書いてあったため、貸さなかったそうです。
この場合であれば、自分で考えて行動するのであれば、明らかに貸すべきです。
公式をただ教えるだけでは、こんなことになる可能性が高くなると思います。
さらに、人に教えたり、グループディスカッションをするということは定着率としてもいいことはこの図を見ていただければ一目瞭然です。
まとめ
もともと、この世界に存在する正解は一つではありません。どれだけ効率が悪くても、目的にたどり着いたらそれは正解だと思います。そして、もしかしたら今発見されていないだけで、さらに良い方法があるかもしれません。それを見つけ出すことができるような環境にするためには、
生徒に考えさせるということがいいのではないかと思います。