勉強すること
僕はこのブログで教育ということに関して書いていて、
やりたいことをやればいいというようなこと書いています。その記事がこちら。
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それは別に勉強をしなくていいということでもなく、
勉強をしなければいけないというわけでもないんです。
よくわからない方もいると思うで詳しく書いていきます。
大人は提案だけする
僕たち子どもが「これをやりたい!」というのを見つけるのって物凄く難しいです。
自由であればあるほどたくさんのことが、無限のことが僕たちの前にはあるから。
その中で、いいと思ったことを提案してあげるのが大人です。
提案はしておくけど、あとは子どもの好きなようにさせればいいと思います。
結局は子どもの人生ですし、決めるのは子どもなので。
同じようなことを書いた記事がこちら
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そして、子どもとは大人の欲を満たすために存在しているのではありません。
子どもが楽しそうに、好きなことをやっている、頑張っている姿が
自然と大人を満足させているだけの話です。
なので、「学校の評価のために偏差値の高い大学に行って欲しい」
と思っている教師がいたら大間違いです。
子どもに「国語」や「数学」というものを提案してあげる。それを子どもたちが好きになれば、勝手にやるのではないでしょうか?
もし、どうしてもやって欲しいならまず好きになってもらうように努力すべきではないでしょうか?
同じようなことを書いた記事がこちら
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子どもたちが勉強が好きでやりたくて仕方ない!というのであれば、
ガンガン勉強させてあげるべきだと思います。
でも、今の学校の感じだと勉強のことを鬱陶しいとしか思わないです。
例えば「宿題を出しなさい。」
なんのために宿題があって、なぜ出すのか。意味がわかりません。
これが何かの手続きの用紙とかなら出さなくてはいけないのはわかります。
自分のために自主的にやればいいものをわざわざ出させるのはどうしてでしょうか?
「宿題を出せ」という風に子どもたちに言うと、
子どもたちにとっては宿題を出せば手段はなんでもいい=答えを写す。
ということになります。
子どもはどちらかというと正しいですがこんなのは絶対に違います!
今度、漢文の「雑説(作者 韓愈)」というものについてこのブログで書きます。
それは僕が勝手に「素晴らしいな!」と思ったからです。
誰に強制されたことでもありません。
このように提案(学校で少しやっただけ)でも、
子どもは本当に興味があるなら、
大人が提案しただけでも行動を起こします。
勉強も、「本当にこのことについて知りたい!」と思えば勝手に調べます。
それでいいのではないでしょうか?