歴史的建造物を見るだけでは意味がない
この写真は、知る人ぞ知る日光東照宮ですよね。
学校の遠足や修学旅行などで行ったことがあるのではないでしょうか。
他にも奈良の大仏とか、原爆ドームなど、歴史的建造物と呼ばれるもの。
確かに素晴らしいものだと思います。その価値がわかる人にとっては。
ただ、小学生にそのようなものを見せても、素晴らしさがわかると思いますか?
めっちゃそういったものに興味がある子以外はきっと
「おおきい〜」「なんかすご〜い」で終わりだと思います。
中学生も同じようだと思います。
よくわかんないけど、先生がすごいって言っているからすごいのかな?終わり。
何の意味があるんでしょうか?!
だったら修学「旅行」であったりするのなら、
旅行ということでディズニーや草津温泉などでもいいのではないでしょうか?
別に歴史的建造物を見ることを否定しているわけではありません。
その前にやっておかなければならないことがあるのではないでしょうか?
なぜ「なんかすごい」で終わってしまうのか
ものすごく興味を持っている子もいるのに
「なんかすごい。でもよくわかんない。つまんない」と思ってしまう子がいるのはなぜなんでしょうか?
僕は、「感性」の違いなのではないかと思います。
それはまたもや「エチ先生と『銀の匙』の子どもたち奇跡の教室」
の内容から学んだことです。内容をどうぞ。
内容
エチ先生の教え子のインタビューです。
筆者:指導する側として知識を伝えるために何か意識されていることはありますか?
はまださん(教え子さん):知識を伝えるのは、一種の『美しいもの』をツツェル、そういう面を持っているんじゃないでしょうか。もちろん知って面白い、ためになるということもあるのですが、絵を鑑賞するのと同じように美しさを感じるというのが学問でも大切だと思うんです。
(ここからが重要です!)
例えば先日、東大の博物館で「鉄」というのをテーマにして展示をやったんですよね。
そこでは鉄の鉱石がゴロンと置かれているわけだけれど、それをただ石があるだけという風に受け取るのか、そこからなにかを感じ取ることができるのか。
それは結局見る人の力(感じる力:感性)だと思うんですよね。
少し僕の解釈が入ってはいますが、こんな感じだそうです。
僕もこういうことなんだと思います。
この感性が磨かれている人であれば、どんなものを見ても、何かを感じ取ることができるのだと思います。その感性を磨く方法については後々書いていこうと思います。
今回言いたかったことは、何かを見て感じてもらおうとしても、感じる力がなければ感じることなんてできないということです。
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