すべてを教えるということ
今、子ども達でも大人でもいいのですが、誰かを教育しているという方に質問です。
あなたは相手に物事を教える時に、その物事に関することのすべてを教えていますか?
それともランダムな一部だけですか?基礎のみですか?応用ばかりですか?
それによって本当に相手のためになってくるのかどうかがとても変わってくるのではないかなと思います。
大体が両極
まあ、さっき書いた下線部のものは、大げさに多く区切りましたが、
大体が「基礎のみ」と、「すべてのこと」の両極に分かれてくると思います。
この二つに分類されないという方はぜひコメントをください!
貴重な意見を参考にさせていただきたいので。ぜひお願いします。
すべてのことを教えるということ
きっとすべてを教えているというあなたは、とてもとても優しくて、
本当にすべてがわかるようになるまで教えてあげたいと思ってしまうのでしょう。
その気持ち、とても素晴らしいと思います!
ただ、その行動が本当に世の中に出てから役立つのかと言いますと、
クエスチョンマークだと思います。
自分で考える力、自分の力でわからないものを切り開いていく力が必要なのは
僕よりも長い人生を生きてきた皆さんの方がわかるのではないでしょうか?
それを育てようと思ったら、細かく教えすぎてしまうのは良くないのかもしれません。
また、すべてを教えてしまうと、失敗をすることもなくなってしまうと思うんです。
それではあまり良くないのかな?と思うんです。
失敗についてはこちらの記事にありますのであわせてどうぞ。
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基礎のみを細かく丁寧に教えるということ
「基礎のみを」というのは、(当たり前のことですが)基礎は絶対に何をするのにも土台となるものであり、絶対に重要なので、基礎は徹底的に教えるということです。
僕はもしかしたらこっちの方が将来のことを考えても、成長するためにもこっちの方がいいのではないかなと思っています。
実際に僕が経験したことで、バスケットボールを教わる側としてやっていた頃、
基礎をしっかりと教わっていたので、ある程度のスキルとしては身についていましたが、それは他の人もみんなが基本的にはそうなので、ただそれだけをやり続けても無謀に近くなってくるわけです。そんな時にどうしたか。
まず、ひたすら練習しまくりました。
そしてその中の発見から、新しい技を自分の中で確立させたんです!(元々あった技で話あっても自分の中では教わったことがなかったので新しい技としています。)
これが社会に出た時と考えても、なかなか越えることのできない壁にぶつかったとしても、いろいろなことを経験するなりして、自分の中の新しいアイデアをひねり出して
越えていく。こういったことと同じではないかな?と思うんです。
このようなことができたのは、基礎は教えられていたからであり、逆にすべては教えたわけではない監督(父)のおかげなのかな?と思います。
子どもたちの脳みそは無限大
それに、子どもを教えている方はもっと子どもたちの脳みそを信じた方がいいと思います。別に出てきた答えがあっているかどうかではなく、その問題に対してどう解決しようかを柔らかい頭で考える。そこに無限大の可能性があると思うので、
「本当にそんなに教えなくても大丈夫かな?」と心配する必要はないと思います!
社会に出てから必要になってくるであろう発想力、応用力を育てるためにも
すべて教えるよりも基礎のみを徹底して教える方がいいのかもしれません。
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