「有りすぎる」ことで「無いこと」のありがたさに気づき、「無さすぎる」ことで「有ること」のありがたさに気づく
みなさん、「有りすぎて困ったこと」「無さすぎて困ったこと」ってありませんか?
意外と意識していないだけでふとしたところでそうゆう経験をしていたり、もしくはめちゃめちゃ思い当たる節があったりするのではないでしょうか。
僕はそんな両端のものから様々なことを学ぶことができると思うんです。
なので今回はそんなことについて書いていきたいと思います。
僕が最近感じること
高校の部活動をやめてしまった僕。
もともと部活動に行っていた時間は暇な時間、自由な時間になります。
また、土日はほぼ休みがなかったので1日が自由!
今、仕事や部活をやっている学生の方からしたら「いいな〜」と思われるかもしれません。そんなこともありませんよ?
僕は多少ブログやら、起業の勉強やらをして時間を使っています。
でも、そのような活動がない方はどうでしょう。
ひたすら勉強をする。もしくはひたすらだらける。そんな感じではないでしょうか?
勉強するのはものすごくつらいけど、だらだらするのも時間がもったいない…。
そうなると、「何かあった方がいいのかな〜」という感じになるのではないかな?と思います。
僕も時間を使っているとは言ってもなかなか、やっぱりだらけてしまう時間が有ります。もったいないとは思ってはいても、もともとだらけ魔なので(笑)
高校受験の勉強とかも休みの日長くて2時間だった男なもんで…。
(今後本当に大丈夫なのだろうかと自ら不安になってしまうくらいですが)
でも、二週間に一回とか、三週間に一回くらい県外にいろいろなことの勉強に行っているので、周りの人よりは時間を有効に使えているのではないかとは思っています。
でも、やっぱり「ありすぎる」と僕の場合「東京に学びに行った方がいいな〜」とか
思うわけです。これがいわゆる「無さすぎ」て「有ること」のありがたさに気づく
ということだと思うんです。
ありすぎることの例
これも僕の体験ですが、先ほども県外に行って学ぶとは言いましたが、
土日の両方とも県外だと、長旅でとても疲れるんです。
すると次の日学校で、めっちゃつらいんす。「休みの方が良かった」と思う。
これなんてまだまだ序の口だとは思いますが、
「有りすぎ」て「無いこと」のありがたさに気づくということだと思います。
結局はバランス
結局どっちであったとしても逆を得たい。
つまりは無い物ねだりってところなんでしょうね。
バランスとって生活していけば、いつでもありがたさに気づくことができ、
幸せになることに一歩近づけるのかな?と思います。
世界での例
これが規模が大きくなり、世界だったらどうなるかというのを考えてみたいと思います。
例えば、世界有数の貧困国に行ったとします。
画像貼ったんですけど、結構やばいっすね…。ゴミが…。モザイクかけられ無いんで、そういったの苦手な方はめっちゃ早くスクロールするといいかもしれません(笑)丁度良さそうな位置に置いときますね。
はい。こういったのを見て(見られなかった方はちょっと想像してもらって)
日本の風景を思い出してみてください。
いつもただ過ごしているだけのところがめちゃめちゃきれいなところに感じてくるのでは無いでしょうか?
それだけで、いつも住んでいるところに感謝できたり、できるのでは無いでしょうか。
でも、いつもの生活ではそんなことには気づきませんよね。
僕も渋谷に行った時には衝撃でしたね。ここまでではなかったですが。
幸せになるということ、というよりも、幸せを感じることはこのようにいつもの生活と対極にあるようなものを体感することでも得られるのかな?と思います。
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